戦後昭和の人気役者となった藤山寛美(ふじやま・かんび)。
藤山寛美の生い立ちを、朝ドラ「おちょやん」に重なる部分を重点的に紹介します。
また、「おちょやん」で藤山寛美がモデルとなった松島寛治(まつしま・かんじ)を演じる前田旺志郎(まえだ・おうしろう)さんについても紹介します。
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藤山寛美の生い立ち
藤山寛美(ふじやま・かんび)は昭和の喜劇役者です。
略歴をご紹介します。
1929年(昭和4年)誕生
父は関西新派「成美団」の俳優・藤山秋美、母はお茶屋の女将・稲垣キミ。
父は稲垣キミと入籍していなかったので、稲垣姓を名乗る。
1933年(昭和8年)父が病没。結核だった。
翌年、4歳で初舞台に立つ。
関西新派の都築文男に師事する。
1941年(昭和16年)13歳で渋谷天外 (2代目)に誘われて松竹家庭劇に移籍。
太平洋戦争、開戦。
1945年(昭和20年)3月、17歳。大阪大空襲で道頓堀が焼け野原に。
芝居小屋も焼け落ちる。
同じく3月、家庭劇の団員数人と、皇軍慰問隊の一員として旧満州に渡る。
1945年(昭和20年)奉天(現在の瀋陽)で終戦を迎え、一時期ソ連軍に捕虜として抑留される。
解放された後はハルビンでキャバレーのボーイや靴磨き、芝居、ブローカーなどをしながら生き延びる
1947年(昭和22年)秋に帰国。
1948年(昭和23年)18歳で「松竹新喜劇」の結成に参加。
2代目渋谷天外、浪花千栄子、曾我廼家十吾ら。
1951年(昭和26年)、天外作「桂春團治」の酒屋の丁稚役が、批評家や演劇関係者に評価され、一躍人気役者となる。
アホの藤山として有名に。
寛美を可愛がった天外が脳出血で倒れた後は、実質的座長となった。
1959年(昭和34年)「フジヤマ旋風」を巻き起こす。
テレビ番組「天外の親バカ子バカ」では最高視聴率58%を記録。
大富豪となる。
?年 芸者の峰子と結婚。連れ子2人、実子3人。
1990年5月21日、60歳で逝去。肝硬変だった。
人気すぎてテレビ進出し、それがまた人気となって、大阪でも東京でも劇場を満員にする、という好循環だったようです。
「泣き笑いの芝居」は今でもまだ覚えている人がたくさんいます。
おちょやんて松竹新喜劇の話だったら藤山寛美さんも出てくるのかな⁇ 子供の頃、松竹新喜劇の舞台(多分?)テレビでやってて、鼻の六兵衛とか大仏手形(?)とか見たの覚えてるー📺 一昨年初めて大阪松竹行った時、藤山直美さんのチラシあって見たかったなー💧 pic.twitter.com/ZauIDaGmDU
— aomkuuk (@nico_y_nico) March 6, 2021
昨日の落語会の鼎談で、上方落語家の笑福亭鶴二師匠が「僕が小学校の時、土曜日、学校から家に帰ってきてから、テレビ📺をつけて『吉本新喜劇』みて『道頓堀アワー』みて『藤山寛美3600秒』をみるのが、楽しみでならなかってん!」って仰られてたけど、「私もそうだった!」と共感しまくりでした❗️ pic.twitter.com/8ZzWyqepHF
— ねこりん (@catlilinlilin) November 2, 2019
藤山寛美師匠がご存命の頃は、松竹新喜劇もTVの舞台中継番組があったのになぁ。😢
— げんた (@gjobgen3) June 4, 2020
後のCMもあるから、実際の放映時間は3,600秒じゃなかったけどね。😅 pic.twitter.com/qFb6vGPa36
今日わ藤山寛美二十七回忌追善
— 花 (@michiko5050) July 15, 2016
夜の部で行って来ました
生身の人間が目の前で
演じるというテレビや映画とわ
違う舞台だけのもの
舞台ならでわ一期一会
涙あり笑いあり心温まる物語でした
是非お時間ありましたら是非
お勧めしたいです pic.twitter.com/IueMdFvujN
渥美清さんとも共演しています。
藤山寛美と渥美清。たまらん。
— がまを (@saga_gamawo) October 25, 2015
テレビドラマ『泣いてたまるか』 pic.twitter.com/fcJftITka2
藤山寛美は浪花千栄子と渋谷天外の養子候補だった

2代目渋谷天外と浪花千栄子夫婦のもとにやってきたのは13歳でした。
夫婦の家は劇団員の溜まり場になっていて、弟子も多くいましたが、その中でも藤山寛美は浪花千栄子に可愛がられていました。
2代目渋谷天外には、若手有望株として見込まれていました。
長らく子供ができなかった夫婦にとって、一時は養子にする話も持ち上がったほどです。
しかし養子話はまとまりませんでした。
時は第二次世界大戦。動乱の時代です。
支那事変、日中戦争ときて、太平洋戦争が長く続いていました。
国民精神総動員法、大政翼賛会・・・
藤山寛美が松竹家庭劇に参加した昭和16年には、12月に真珠湾攻撃が起こっています。
大阪が焼け落ちたとき、夫婦は東板持に疎開し。一方藤山寛美は行く当てなく危険をおかして満州へ渡っています。
養子話がなくなってしまったのも、無理はありません。
しかし夫婦の離婚原因が、2代目渋谷天外の女癖の悪さと、浪花千栄子に子供が出来なかったことだと考えると、藤山寛美が養子になっていれば夫婦は離婚しなかったのではないでしょうか。
夫婦の離婚後も2代目渋谷天外に重宝され、劇団に無くてはならない人物になっています。
松島寛治のモデル、藤山寛美出演作品は、おちょやんでも名作として扱われています。


「おちょやん」松島寛治役は前田旺志郎
松島寛治くん。
— 朝ドラ「おちょやん」放送中 (@asadora_bk_nhk) March 21, 2021
泥棒ではありません…新派の座長だったお父さんを亡くした15歳の少年です。#前田旺志郎 さん。#わろてんか ではキースの少年時代を演じていました。ただいま大学生です。朝ドラにお帰りなさ〜い!👏#朝ドラ #おちょやん pic.twitter.com/C8PRv7ODr1
朝ドラ「おちょやん」松島寛治のモデルは藤山寛美だと、公言されています。
簡単に気づけた人も多数いますね。
おちょやん松島寛治を演じる前田旺志郎(まえだ・おうたろう)さんは、NHK3作目です。
①大河ドラマ「平清盛」

平清盛の幼少期「平太」を演じました。
②大河ドラマ「いだてん」

「いだてん」では、オリンピック水泳日本代表選手・小池礼三役でした。
③朝ドラ「わろてんか」

「わろてんか」では旅芸人キースの少年期でした。
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